最近、カルロス・クライバーという指揮者にはまってます。
彼は、録音嫌いで有名で、彼のCDは非常に少ないです。しかし、その残されたCDはどれも名盤で、その曲のNo1の演奏であると評価されているものも少なくありません。私も彼のベートーヴェンの第5・第7からはまりました。そして、今は、映像としてみるカルロス・クライバーにはまっています。
カルロス・クライバーは、録音嫌いと申しましたが、実際のところは、自分の音楽を聴くだけでなく、自分の指揮する姿は観て欲しかったようです。ですから、確かにCDは数少ないですが、映像では結構残っています。
なるほど、指揮姿を観て欲しいのか、それはどれほどのモノかと、1983年にコンセントヘボウを指揮したベートーヴェンの第4・第7、1989年及び1992年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートのDVDを購入したのが始まりです。1992年のニューイヤーコンサートは、カメラワークが個人的にイマイチで映像としてはそんなに好きになれませんでしたが、、ベートーヴェンの第4・第7と1989年のニューイヤーコンサートの映像は、一見の価値ありです。もう永久保存版間違いなしです。
私は、指揮というとしかめっ面したオッサンが堅苦しく指揮棒を振っているイメージしかなかったのですが(実際、私がリアルで観たことがあるオケはこんな感じでした)、カルロス・クライバーの指揮を観てびっくりしました。
なんというか。。。
指揮台の上で、踊っているだけじゃないかこの人はっ!?
と。もう、観ていて楽しいんです。音楽は聴くだけでなく観るものでもあること、音楽は芸術である前に娯楽であることを思い知らされました。
カルロス・クライバーの指揮は、とても感情的です。身体全体で音楽を表現しています。時には流麗に、時には激しく、音楽に合わせて自由自在です。
友人に、「どうして、こんな指揮ができるんだ?」と訊いたところ、「カルロス・クライバーは、リハを綿密にやるから本番時には指揮がいらないくらいに完成されてるんだよね。だから、彼の指揮は特別」だそうで、なるほど納得です。実際、彼の指揮を観ていると、時々、何もしないでただ音楽を聴いているだけのような時もあります。
だから、魅せることにも気をくばれるのですね。すばらしい。
私は、今頃になってクラシックの面白さがわかったのですが、小学校や中学校の音楽の授業でも、ただ、クラシックの有名どこを聴かせるだけでなく、指揮者による解釈の違いによる演奏の変化や、こういった映像を用いて授業を受けていれば、もっと早くに興味を持てたんだろうなぁ、と思います。音楽鑑賞は決まって寝てました。文科省も少しは考えてくれれば良かったのですが。。。
すっかりクラシックを聴くことが多くなってきました。
これまた有名なベートーベンの交響曲第5番「運命」を聞き比べてみようとして、フルトヴェングラー指揮のものと、カルロス・クライバー指揮のものを購入しました。何故、カルロス・クライバーなのかと言いますと、クラシックに詳しい友達が、偉く褒めていて「おそらく、最後の巨匠だったのではないか?」とのことだったので。
指揮者によってココまで違いがあるというのは面白いですね。
フルトヴェングラーの「運命」は、どっしりとして重い演奏だったのですが、クライバーは、シャープで切れのある演奏です。結果的には、どっちも格好良くて、2人が素晴らしいのか、どのように演奏しても素晴らしい曲を作ったベートーベンが素晴らしいのか何とも言えませんが。。。
でも、「運命」なんてどうでも良くなってしまいました。
クライバー指揮のベートーベン交響曲第7番の第四楽章を聴いたら。
これはもうなんと言えば良いか。。。
「凄いっ!」という言葉しか思い浮かびません。音楽を聴いてここまで、感動するのは久しぶりです。魂を揺さぶられました。背筋がゾクリとして鳥肌が立ちました。電車の通勤中にCDウォークマンで聴いていたのですが、思わす拳を握って振り回したい衝動に駆られました。
第7番なんてノーマークも良いところでしたのに、こんな不意打ちを食らってしまうとは。音楽って奥が深いですね。
私がクラシックに興味を持ったのは、鈴木淳史の『クラシック批評こてんぱん(2006)』という文庫を読んだのがきっかけでした。この本の内容は、クラシックの音楽ではなく、その批評を揶揄して楽しむという本で、その中では、次のようなクラシック音楽特有の批評を並べては、その意味を講釈するという、なんとも特異なことをしているのでした。
第一楽章の、混沌たる宇宙が雪崩を打って崩壊するようなロマンティックな音楽は正にこのような遅いテムポとうねるようなダイナミックでスケール大きく演奏しなければならないと僕は考える。(中略)この辺、(引用者注:第四楽章後半部)のフルトヴェングラーのテムポの進軍の素晴らしさは絶妙で、管弦楽だけのフガートの狂おしいまでの烈しさ、特に最後のオーケストラのプレスティッシモの猛烈に速い劇的なテンポは全く理想的で、楽器が鳴り切らないのは本当に残念だが、これこそベートーヴェンの考えた終末だったのである。(宇野功芳〜『名曲LP500選』ディスク社1958)
ここで、引用したのは、1951年のバトロイト音楽祭でのフルトヴェングラー指揮の第九(通称:バトロイトの第九)に対する宇野功芳の批評です。言ってることは意味不明ですが、とにかく凄いということは伝わってくる文章です(音楽、とくにクラシックの批評はこんな感じらしいです)。この他にもいろんな人のフルトヴェングラーの『バトロイトの第九』の批評が引用してあり、その内容は総じて「これを越える第九はない」とのことでした。もう50年以上も前のものなのに、今なおこれを越える第九がないととは、さぞ素晴らしい第九にちがいありません。これは是非と聴いて見なければ。
そういうわけで、フルトヴェングラーの『バトロイトの第九』を買おうと思ったのでした。しかしながら、このバトロイトの第九は1951年の録音で、50年以上の前のものですから基本的に音質が悪く、色々なレーベルからリマスター盤が出ているとのことで、目下一番音質が良いとされる『交響曲第9番『合唱付き』 フルトヴェングラー&バイロイト(平林直哉リマスター)』を買うことにしました。ところが、『バトロイトの第九』もなかなかだけど、ベストは1942年の『ベルリンの第九』でしょう、という人もちらほらと散見されるようで、んじゃあ、こっちも買いましょうと、一番音が良いとされる『交響曲第9番『合唱』 フルトヴェングラー&BPO(1942年 メロディア青トーチ盤より)』も買うことにしました。
聴いてみて、懸念事項であった音質ですが、そんなに気になりませんでした。むしろ、このノイズがたまらない、という具合で、私の嗜好をゾクゾクと刺激してやまないCDでした。そういえば、Jazzでも、1940〜1960年代の曲を良く聴いています。
今回初めて、第一楽章から第四楽章までを通して聴いたのですが、第九というは、素晴らしい曲であることを認識しました。今もバックで流れていますが、何度聴いても飽きません。
第九は、とても躁鬱が激しい曲で、第一楽章から不吉な何かが燻っているような感じで、それが、第三章で一瞬安寧が訪れたようにも見えますが、結局は、第四楽章で発狂し、狂気の末に事切れるというとてもドラマティックな内容です。
バトロイトとベルリン両方聴いてみたのですが、私としては、『バトロイトの第九』をとりたいです。こちらの方が、よりキチガイじみてて素敵です。ベルリンの方は、勢いは感じられるのですが、バトロイトの方が、躁鬱の明暗が色濃く、より病的な感じがするのです。
しかし、クラシックもJazzと同じで、演奏者とか時代とかで同じ曲でも内容が変わってしまうのですね。面白いです。
Author:銀
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